<3日目>2019年4月28日(日)
■行程: シンゲッティ→ウワダン
今日は、朝7時半に朝食を食べ8時にウワダンに向けて出発。
朝食は、パン、自家製ヨーグルト、各種ジャム&ペースト、お茶です。
シンゲッティを出ると、そこはサハラ!道なき道を走ります。トルコのメズルーカやパリダカで見た砂漠よりも砂が少なく、砂底が見えている場所もかなりあります。アカシアの木や草が点々と生える場所にはときおりラクダやヤギがいますが、草木がまったくないところでは生き物は見かけません。
途中、遊牧民のテントがあったのでガイドとともに訪問。即席のお土産物屋が出現します。子供はちゃんと座ってお行儀がよい。お茶のセットやラクダのミルクもありますが、ちょっとお腹が心配なのでパス。
次に訪れたのは、シルクロードの終着点としてかつて栄えた村の長のお墓。
ここには井戸があり、家畜の水飲み場になっています。
10時半ごろ、オアシスの村、タヌシャット パルマに立ち寄り、ここでランチを食べて休憩します。
ここには、ツーリストをもてなす素朴な茅葺の施設があり、村のみんなが集まって、お茶やラクダのミルクを振舞ってくれます。
砂漠の民は、家の中には靴を脱いで裸足で上がるため、日本と同様、正座する習慣もあるようです。
この村の木陰で、Maanはランチを準備し、ナジィはお茶を振舞ってくれます。
今日のランチは、Maanがヌアクショットで仕入れた魚と野菜の煮物、野菜サラダ、ライスを作ってくれました。ライスもお鍋で炊いてくれます。砂漠で魚料理なんて粋だろう!とMaanはご満悦でした。
お昼を食べ終わり、トラックへ荷物を積み込んだらウワダンに向けて出発。ここから先は、本当にサハラのど真ん中を突っ走ります。
2時間ぐらい走って、あとちょっとでウワダンという場所で、ラクダに乗った遊牧民を発見。Maanはすかさず二人を呼びとめ、私をラクダに乗せてくれるよう交渉してくれました。
ラクダに乗るには、座ったラクダの足を踏み台にして鞍に乗るのですが、ラクダがずっと泣き叫んでいたので、とても申し訳ない気持ちで踏み台にさせていただきました。
最後にみんなで記念写真。結構みなさん気さくに写真撮らせてくれます。
そして、ようやくウワダンに到着。ウワダンの世界文化遺産(ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール)は、シンゲッティよりもずっと規模が大きく、山の上に築かれた城砦の遺跡が残っています。
ここは、シンゲッティよりも少し古いAD536年~AD1141年までの間使われており、ここだけで5000人が生活したと言われています。
敵に襲撃された場合には、城壁の門を閉じ、城砦内にある井戸と食料で1ヶ月篭城できたという。
大きな部屋を囲むように小さな部屋が配置。
戦略上重要な井戸は、井戸用の専用通路の奥まった場所にあります。
通路の壁にあった、筋状にへこんだ石壁。これは子供が暇つぶしのため(遊びで)石でこすってできた溝だという。
遺跡の中に忽然と現れる土産物屋。
美しい状態で残っているモスク。
ちょっとしたモデル気分が味わえます。
ミナレットもほぼ完璧な姿で残っています。シンゲッティは、旧市街に遺跡と混在して今もなお暮らしている人もいて、モスクも現役なので異教徒は入れませんが、ウワダンは旧市街には人が住んでおらず、異教徒でもこのモスクには入ることができます。
新市街は旧市街の城壁の外、すぐ隣にあります。
これは、ウワダンの町役場。ここにチェックポイントもありました。
周りには、トマトやにんじんなどを作る畑があり、椰子の林があたりのどかです。ウワダンの人口は2500人、学校はイスラム教の学校とモーリタニアのパブリックの学校の2つの学校があるそうです。もちろん石油を利用した火力発電所もあり、電波も来ています。8月には雨が降り、町の中を川が流れるそうです。
本日の宿は、オーベルジュ バスクです。この時期は暑いのでもうクローズしているということで、オーナーはフランスに帰っているそうです。
部屋は広く、エアコン、シャワー、水洗トイレ完備で砂漠のこんな奥地でこんなに快適に過ごせるとは思いませんでした。ちなみに、この部屋のトイレは現地式(和式?)。隣の部屋は洋式トイレでした。
ディナーは宿の方々とローカルスタイルで、地面にマットレスを敷いて座って食べます。メニューは、トマトスープ、野菜サラダ、メインは、クレープのようなものにラクダ肉と野菜のシチューをかけるもの。野菜サラダまででお腹一杯になり、メインをほとんど食べられませんでした。
翌日は、いよいよリシャット構造!